The Study of Bag End

ドイツ語版『ホビットの冒険』とナチスの検閲

1937年9月、トールキン教授の著書『The Hobbit』(邦訳:『ホビットの冒険』)がロンドンのジョージ・アレン&アンウィン社から出版され、すぐに人気を博します。翌年、同社は翻訳版刊行を希望するドイツの出版社 Rütten and Loening と交渉中でした。その過程で、トールキン教授が “アーリア人” かどうかの証明を求めてきたそうです。当時のドイツはナチスが政権を握り、検閲は早くから始まっていました(第二次世界大戦の開戦は1939年9月)。

トールキンは自身の出版社の意向を尊重したいと考え、送り得る手紙を二通作成し、アレン&アンウィン社へ送りました。そのうちの一通が出版社に残り、死後刊行された書簡集『The Letters of J.R.R. Tolkien(amazon) に収録されました。編者の註釈によると、おそらくもう一通がドイツの出版社に送られたのだろうということ。そちらの内容は不明です。それゆえ、ここからご紹介するのは、アレン&アンウィン社に残った方の手紙です。

トールキン教授は出版社のいう “アーリア人” の概念に疑問を呈した後、「私がユダヤ人の血を引いているかを尋ねているのだとすれば、その才能ある人々の祖先が私にはいないとみられることを残念に思うと答えるほかない」*1と綴りました。そしてまた、自身の高祖父(おじいさん・おばあさんのおじいさん)が18世紀にドイツからイギリスへ渡ったことに触れ、自身の大部分はイギリス人だと述べています。自身のドイツ由来の名前を誇りに思っていることにも触れ、「このように無礼で不適切な質問が文学の分野でも行われるなら、ドイツ由来の名前を誇りに思えなくなる日も遠くないと述べられずにはいられない。」*1と書いたそうです。

これはナチス・ドイツのぞっとするような法律に則った出版社の行動のようですが、「他国民にも適用されると考えるのは不適切である」*1と述べ、手紙を締めくくりました。ドイツの出版社へ送られたであろうもう一通がどのような内容だったのかも気になりますが、我慢ならないといった様子はこの手紙からも明らかです。いずれにせよ求めには応じなかったようです。ドイツ語版の『ホビットの冒険』が出版されたのは、戦後、1957年*2になってからでした。

トールキンは自身の出版社にはもっと素直に心境を吐露した手紙を同封していますが(Letters, no. 29)、顕著に怒りを表現しているのは、第二次世界大戦下で出征中の次男マイケルさんに宛てて書いた手紙だと思います。ご自身が愛し、専門としてきたものをヒトラーに「破壊し、悪用し、誤用し、永遠にのろうべきもの」*3にされたといい、心を痛めている様子が伺えます。書簡集の45番の手紙ですが、一部は公認の伝記でも読めます(229ページ)。

References

  1. J.R.R. Tolkien; Humphrey Carpenter, Christopher Tolkien (eds.),The Letters of J.R.R. Tolkien, Letter 30 (dated 25 July 1938) 日本語への翻訳はこの記事の筆者による
  2. J.R.R. Tolkien; Douglas A. Anderson (ed.),The Annotated Hobbit: Revised and Expanded Edition, p. 390
  3. ハンフリー・カーペンター著、菅原啓州訳、J・R・R・トールキン―或る伝記、229頁