The Study of Bag End

映画『ホビット』で使われた指輪の幽鬼の音楽の謎に迫る

※映画『ホビット』シリーズのクライマックスに言及しています。

映画『ロード・オブ・ザ・リング』と『ホビット』のサウンドトラックはお好きですか? 心地よいの、勇ましいの、美しいの、おそろしいのと、作品中でさまざまな音楽が流れますね。

作曲をしたハワード・ショアさんは、中つ国の国や種族、状態などを表すため各々に属する音楽を設定しました。これが組み合わされ、映画音楽が成立しています。この一つ一つを「テーマ」と呼びます。

『ロード・オブ・ザ・リング』で印象的なテーマの一つに、指輪の幽鬼の音楽が挙げられると思います。ナズグールとも呼ばれる黒の乗手のことですが(名前多いな)、第一部『旅の仲間』の前半には、幽鬼の登場と共にこれでもかというほどよく使用されました。ですから、思い出せる人も少なくないと思います。けど、思い出せなくても安心してください。おさらいをしながら進めましょう。

ところで、これと同じ音楽は『ホビット 思いがけない冒険』のクライマックスでも流れました。指輪の幽鬼と関係のない場面なのに、です。

映画公開当時から、なぜそこで「指輪の幽鬼」のテーマが流れたかという声が、日本国内のファンからも、海の向こうのファンからも混乱の声とともに聞こえてきました。わたし自身もそのファンのひとりですし、同じようなかたはいらっしゃると思います。

これは長らく謎の一つでした。けど、今ではこれが何だったのかが明らかにされています。今こそこの謎を解き明かしましょう!

※本記事では映画のサウンドトラックを複数紹介しますが、使用する動画は著作権が管理された YouTube アートトラックです。安心してご視聴ください。

指輪の幽鬼の音楽とは?

はじめに、「指輪の幽鬼」のテーマがどの音楽かのおさらいからはじめます。

このテーマは『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』の劇中に初めて使用されました。以下のトラック「茸畑への近道」の2分52秒から3分35秒頃まで、じっくり聴いてみてください。

※ここに埋め込んだ動画は時間位置を合わせています。再生すれば2分52秒からはじまります。
※金管楽器が鳴り響きます。音量にご注意ください。

圧倒されてしまう音楽とコーラス。「タータ、タタータ」というリズムを繰り返しながら、どんどんと高音になっていきますね。これが『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズで指輪の幽鬼を表すテーマでした。指輪の幽鬼が登場するところ、この音楽がついてまわります。

モルドールに関する音楽の多くは、短く繰り返される、単調なモチーフが特徴です。*1

劇中では、ここで聴いたように音楽だけで使用される場合もあれば、混声合唱がつく使い方もされます。この合唱の歌詞は、「指輪の幽鬼の啓示( The Revelation of the Ringwraiths )」という題名の、脚本担当のフィリッパ・ボウエンさんによる作詞がもとになっています。

この合唱で使用している言語は、第二紀にヌーメノールの人間たちの間で使用されていた、アドゥーナイクという名前の言葉です。フィリッパ・ボウエンさんが英語で作詞したものを、言語監修のデイヴィッド・サロさんがアドゥーナイクに翻訳しています。このアドゥーナイクもトールキン教授の創作言語です。

劇中でアラゴルンが明かしますが、指輪の幽鬼(の一部)はもとはヌーメノールのお偉方。彼らは、おそらくは並の人間よりも長い寿命を与えられていた人物であるにも関わらず、エルフ族のような不死にひかれて死を拒みます。そうして、サウロンの手中に収められることとなるのです。

「指輪の幽鬼」のテーマと共に歌われる「指輪の幽鬼の啓示」のアドゥーナイクの歌詞がこちらです。

Nêbâbîtham Magânanê
Nêtabdam dâur-ad
Nêpâm nêd abârat-aglar
îdô Nidir nênâkham
Bârî’n Katharâd*2

フィリッパさんの英詞を日本語にすると、こんな感じになりそうです。素人翻訳なので参考程度にご覧ください。

われらはわれらの創造主とのつながりを断つ
われらは暗闇に忠誠をつくす
われらは権力と栄光をわがものとせん
見よ! われら9人は、
果てることのない命の主だ*2

人間に死を定めたイルーヴァタールに背き、永遠に生きながらえるということを言っているんですね。こんなことを歌いながら追いかけられたら怖くてたまりません……。

この「指輪の幽鬼」のテーマは、場面ごとに様々な表情を持ちます。先ほどの金管楽器が派手に鳴り響いたトラックとは異なり、次のトラックは合唱が主体です。0分30秒から1分10秒頃まで聴いてみてください。

※動画は、時間位置を合わせています。

これは風見が丘でホビットたち4人がとうとう幽鬼に追い詰められる場面の音楽です。暗闇から幽鬼が現れる映像も印象的でした。第一部『旅の仲間』で幽鬼たちがブルイネンの大水に流されるまで、幽鬼の恐怖が心に植え付けられるかのように、「指輪の幽鬼」のテーマは観客に強烈な印象を残します。

映画『ホビット』での使用はどの場面?

この記事のはじめに『ホビット 思いがけない冒険』で「指輪の幽鬼」のテーマが使用されていたと書きました。この場面は残念ながらサウンドトラックがありません。けれど登場するのは一か所だけなのでお伝えします。

霧ふり山脈のゴブリン町の次の場面です。ドワーフとガンダルフ、ビルボが合流して安心したのもつかの間。アゾグ率いるオークの一隊がトーリンたちに追いつきます。何だかんだあってドワーフたちが崖の木から落ちそうなところ、トーリンだけがはい上がることができました。

そしてアゾグに向かって歩んでいくところが問題の場面です。『ホビット 思いがけない冒険』エクステンデッド・エディションでは、2時間41分過ぎあたりからです。力強い混声合唱とともに「指輪の幽鬼」のテーマが聴こえると思います。

これが公開当時に物議を醸したことは、冒頭にも書いた通り。指輪の幽鬼とつながりのない場面でなぜあの音楽が流れたんだろう? と話題になっていたのでした。そういう音楽は他にもありますが、ここほどのインパクトはなかったでしょう。

お手数ですが、もしよかったら読みすすめる前にこの場面の映像を一度ご覧になってみてください。今は観れないという方は、ちょっと目を閉じてあの場面を思い出してみましょう。

悪のしもべを表すテーマへの昇格

2014年、作曲したご本人ハワード・ショアさんは「なぜあの場面で指輪の幽鬼のテーマが流れたのか?」と質問を受け、こう回答していました。

それは悪とのつながりを示すものでした。

そうした登場人物とサウロンとの関係を示すものでもあります。*3

幽鬼はどうなったんでしょうか? 合唱の歌詞「指輪の幽鬼の啓示」は幽鬼に属する内容でしたよね。歌詞の内容は他の登場人物には使えそうにありません。「われら9人」とか「果てることのない命」とか……。

それに、『思いがけない冒険』のほうはちょっと『ロード・オブ・ザ・リング』の合唱と違う感じもしませんか? 歌詞はどうなったんでしょう?

この疑問にも、ファンはやっと答えが得られたんです。

2019年になって、『 The Music of The Lord of the Rings Films 』の著者で『 The Music of The Hobbit Films 』は執筆を終えているダグ・アダムスさんが、この場面の歌詞の秘密を明かしてくれました。

このトーリン対アゾグの場面では、歌詞は「指輪の幽鬼の啓示」から離れ、「悪のしもべ( A Servant of Evil )」という新たな歌詞があてられたことが判明したんです!

幽鬼の歌詞と同様に、フィリッパ・ボウエンさん作詞、デイヴィッド・サロさんのクズドゥル(ドワーフの言語)への翻訳です。

inki abazu id-ikrad
signi lu maglab
in yaradsu,
karid li sherekh makharran
mazabd ala ainâgul
lu marada
mayand ala Nargûnul
kayyaba
zû, inditu
eki alla rataba*4

ドワーフの皆さまはお読みになれるかもしれませんが、ここはほとんど日本語話者の方がいらっしゃる場所なので、英詞を日本語に翻訳しますね。素人訳ですから、英詞を読みたい人は脚註からリンクをご覧ください。

おまえを前に
真実は
長いあいだ語られてこなかった
だがおまえは知っていた
おまえの血管を流れる
その血のようにたしかに
この悪のしもべは
死ななかった
このモルドールの子孫は
生き延びた
今、終わらせてやる
もう何も残っていない
お前の命には、もうこれだけ*4

死、です……。この歌詞はドワーフの言語を使っています。でも、内容はアゾグの側から書かれたものだとおわかりになると思います。以下はいずれもダグ・アダムスさんの発言です。

映画製作者の考えでは、この詞はトーリンというよりアゾグに関連するものです。*5

この合唱はドワーフ語(クズドゥル)で歌っている。しかし、アゾグと、彼とモルドール、そして古の悪とのつながりを歌っている。*6

トーリンがアザヌルビザールの合戦でやっつけたと思っていたアゾグは生き延びました。そして長い期間(原作の設定を持ってくるなら142年ですが、映画では?)経ったのちトーリンの目の前に再び現れるのです。執念のかたまりです。

ところで、ダグ・アダムスさんはこの歌詞「悪のしもべ」を紹介した時に、興味深いことを教えてくれました。

この歌詞(悪のしもべ)は、第三部のトーリンとアゾグの最終決戦で帰ってくる。*5

この動画の5分6秒から5分56秒まで。この音楽が使用された場面は、観客の多くが「トーリン、逃げてー!見てちゃだめだー!」と手に汗を握ったことでしょう。

※例によって再生位置は設定しています。

死んだフリをしたアゾグが水中を漂い、そのアゾグをトーリンが見つめる場面です。*7

ここでは『思いがけない冒険』とは違って憂いを感じさせる女性の声で歌われます。エルフ語かと思わせるようなやわらかさですが、ここはやっぱりクズドゥルらしい。

同じようなクズドゥルと女声の組み合わせは、トーリンが竜の病から目を覚まして仲間の前に現れた時、フィーリが絶体絶命の場面にもみられます。クライマックスの悲劇に向けた演出のように感じられます。

思い返せば、第二部『竜に奪われた王国』ではトーリン一行はアゾグの追跡を何とか振り切りました(闇の森のエルフの助力も得つつ?)。トーリンとアゾグが直接対決する場面は、第二部にはないんですよね。第二部はスマウグとの戦いがクライマックスでしたから。

これらを踏まえれば「悪のしもべ」はアゾグの側から歌ったもので、トーリンとの対決場面で使用される歌詞だということが見えてきます。

なぜ「指輪の幽鬼」のテーマが使われたのか?

このトーリンとアゾグの対決は映画のクライマックス、重要な場面です。それだけ観客しっかり観ているし、音楽にも着目しているんです。

けど、実は『ロード・オブ・ザ・リング』にも、指輪の幽鬼が登場していないけれど、幽鬼のテーマが使用されているところがあるんですよね。

『旅の仲間』プロローグでの「指輪の幽鬼」のテーマの使用箇所はいくつかあります。例えばエルフ軍とモルドール軍がぶつかり合うこの場面(エルロンドが伝令をつとめているところ)。2分18秒から2分46秒頃まで聞いてみてください。

この後、サウロンが登場してエルフと人間の同盟軍を次々に吹き飛ばす場面でも使用されます(3分00秒から3分12秒)。サウロンの圧倒的な力が映像、音楽ともに表現されます。劇中、サウロンの実体があるのはプロローグのみでしたから(あとは目のみ)いかに恐ろしい者なのか描くことが重要だったそうです。

さらに『旅の仲間』の終盤のアモン・ヘンで、フロドが指輪をはめたところの場面にも出てきます(3分25秒から3分46秒)。

このように、『ロード・オブ・ザ・リング』の頃から、幽鬼とは関係のない場面、サウロンの登場シーンですら使用されているんですよね。一部は「指輪の幽鬼の啓示」の合唱を伴って。

なぜ、『思いがけない冒険』のクライマックスで「指輪の幽鬼」のテーマが使われたのでしょうか。『ホビット』ではたった一度しか使用されませんでした。こういうことから見ても、映画『ホビット』の頃に情報発信をなさっていたはなれ山通信さんによる考察「曲がなかった」に賛成です。*8

けれど、ハワード・ショアさんのように緻密にテーマを積み重ねて作曲なさった方が、ただ適当に見繕って流用しただけと考えることは難しかったです。ショアさんの作曲だからこそ、使用されたテーマの意味に頭をひねったファンがたくさんいたのでしょう。ですから、何かしら説明を用意しているだろうと思い、この謎の答えが明かされることをずっと待ち望んでいました。

映画『ホビット』では、「悪のしもべ」の合唱と共に使用されることで「指輪の幽鬼」のテーマは悪のしもべに対して使用できるテーマに昇格し、ナズグール以外にも使用できるようになったといえるのではないかと考えます。

前述したダグさんの発言「古の悪とのつながり」をもとに拡大解釈するならば、サウロンもまた悪のしもべにカウントされるのかもしれません。トールキン教授は『指輪物語』でアラゴルンに上古の話をさせます。その時に、サウロンについてはこんな風に説明するのです。

…ルーシエンはこの世界がまだ若い頃[中略]モルドールのサウロンなどはわずかにその召使の一人にすぎなかった強大な敵が北方のアングバンドに住んでいた。*9

このアラゴルンの説明を思い出してみれば、サウロンもまた、悪に対する奉仕者だったと言えるのではないでしょうか。「指輪の幽鬼の啓示」の歌詞をサウロンにも、他のモルドール軍にもあてることは難しいと思いますが、音楽のモチーフとしては、悪のしもべを表すためのテーマだと言えば前述した『旅の仲間』のプロローグや終盤での幽鬼のテーマの使用も解せる話ではないかと思うのでした。

もっと詳細で的確なお話は、ダグ・アダムスさんの『 The Music of the Hobbit Films 』が出版されたら判明するはずです。諸事情により出版の動きがない状況だそうですが、著者ご本人はまだ諦めていないご様子です。*10期待して待ちましょう!

Special Thanks: ぐらさん

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Notes

  1. Doug Adams, The Music of The Lord of the Rings Films, Mordor, p. 18.
  2. Doug Adams, Ibid., p. 139. [日本語訳は筆者による]
  3. This is composer Howard Shore. Let’s talk about music. : IAmA, posted on 9 December 2014 (accessed on 29 August 2021).
  4. A Tweet from @DougAdamsMusic, posted 11 September 2019 (accessed on 29 August 2021).
  5. A Tweet from @DougAdamsMusic, posted 11 September 2019 (accessed on 29 August 2021).
  6. A Tweet from @DougAdamsMusic, posted 11 January 2015 (accessed on 29 August 2021).
  7. Music Commentary Watch Along – The Hobbit Battle of the Five Armies – TheOneRing on YouTube, from 2:16:55, delivered on 5 August 2020 (accessed on 29 August 2021).
  8. ホビット 思いがけない変更〜アゾグで読み解く3部作化の苦心〜(前編) – はなれ山通信, 投稿日:2013年2月16日(閲覧日:2021年8月29日). [今読んでもたいへん興味深い記事です]
  9. J・R・R・トールキン著、『指輪物語 旅の仲間』、十一「闇夜の短剣」、瀬田貞二・田中明子訳、電子書籍版(評論社).
  10. A Tweet from @DougAdamsMusic, posted 4 September 2020 (accessed on 29 August 2021).