The Study of Bag End

なぜドゥリンの扉に“モリア”と描かれたのか

モリアは、ドワーフ族の居住地のうち、最古にして最大の都でした。ここは、中つ国に太陽が昇る前から脈々とドワーフによって受け継がれていたのです。ドゥリン一世が鏡の湖にやってきて、すぐのところにある洞窟に住んだのがはじまりでしたね。

モリアの第二紀は、大いに富み栄えた時代だったでしょう。ベレグオストとノグロドから優れた技術を持つドワーフがモリアに合流しただけでなく、隣接する地域にエルフのノルドール族がエレギオンの都を築き、両者は技芸を極めたいと望む情熱を分かちあいましたから。

モリアとエレギオンの往来のために、モリアの西側に門が設けられました。これがずっと後に旅の仲間が通過する「ドゥリンの扉」に他なりません。この門そのものが、ドワーフとエルフの友情の証といえるでしょう。門に描かれたエルフ語の碑文をガンダルフが仲間に訳して聞かせました。合言葉は有名ですね。

モリアの領主、ドゥリンの扉、唱えよ、友と。そして入れ。
われ、ナルヴィ、これを作りぬ。柊郷のケレブリンボール、この図を描きぬ。

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ところが、その栄華も虚しく、エレギオンはサウロンと対抗することとなり、不死のエルフの国でありながら1000年と経たずに陥落しました。一方でモリアのドワーフ族は、ドゥリンの扉を固く閉ざし、モリアを存続させることができました。ずっと後、第三紀になってからバルログを目覚めさせてしまうまでのことですが……。

これらを踏まえて中つ国の歴史を見通したときに、一つの疑問が浮かびませんか? 題目にした通り、ドゥリンの扉にはなぜ、“モリア”と描かれたのか?ということです。トールキン教授は、『指輪物語』の追補編で、モリアの意味について「黒い深い穴」だと説明しました。さらに「愛情をもってつけられた名前ではない」とも付け加えました。2

旅の仲間がやってきた時点のモリアなら、オークが荒らし回ったことが明らかで、「黒い深い穴」と呼ばれるのも納得できます。けれど、ドゥリンの扉が作られたのは第二紀のこと。その頃のモリアは繁栄していただろうと考えると、「黒い深い穴」というのはどうにもふさわしくないように思いませんか? それに、ドワーフにしてみても、自分たちの歴史あるりっぱな館だと誇りにしている場所について「黒い深い穴」なんて呼ばれたら、ドワーフは不愉快な表情を浮かべそうです。非難轟々かもしれません……。

このことは、次のギムリの言葉によく表れています。裂け谷を出発した旅の仲間が荒廃しきったモリアで休息をとっている時のこと。サムがモリアのことを「こんな暗い穴」と評したのを聞いて、ギムリは、昔のモリアについてこう描写します。

ここはドワローデルフの偉大なる王国であり都であるのです。それに昔は少しも暗くはなく、われわれドワーフの歌の中に今なお伝えられているように、目もあやな美しさと光に満ち満ちていたのです。

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ギムリはこの後、荘厳な時代のモリアを懐かしむ詩を続けます。ドゥリンの扉を建造した時代のドワーフたち、モリアの領主ドゥリン三世やナルヴィにしてみても、同じ気持ちだったのではないかと想像します。彼らは、どうして碑文にモリアと描くことを許したのでしょうか?

この疑問に対する最終的な答えを、トールキン教授は残していないようです。ご本人が把握していたのかもわかりませんでした。けれど、モリアの名称に関する議論は、ときに海外の掲示板などでも見かけます。それに、わたし自身も長らくうやむやにしていましたから、これを機会にトールキン教授がモリアについて考えていたことを整理し、仮説を検証することにします。

モリアの登場はいつ?

でも、『ホビットの冒険』と『指輪物語』では、登場人物はドワーフを含めてみんな“モリア”と呼ぶんですよね。だから、この二作を初めて読む時にドゥリンの扉に「モリア」と描かれたという記述を読んでも、その違和感にひっかかる人はまれだと思います。

おそらくビルボやフロドの時代のドワーフ族は、そこをモリアと呼ばれることを、認めるしかなかったのではないでしょうか。先にも触れましたが、モリアを「ドゥリンの禍」と呼ばれたバルログやオークに占領されてしまったからです。後になってオークとドワーフのあいだで大きな戦争があり、勝利を収めたにも関わらず、彼らはモリアを奪還できませんでした。この経緯から、ドワーフは自虐気味にその名を受け入れたのだろうと想像することはできます。

ところで、「モリア」の地名をトールキン教授はいつ頃から使いはじめたのでしょう? この地名は『ホビットの冒険』にはじめて登場しますが、『指輪物語』を描くまでこれが自分の描いている神話体系に属するものとは思っていなかったそうです。つまり、『ホビットの冒険』ははじめ、中つ国の物語に属しておらず、エルロンドやゴンドリンといった名称は、借用したにすぎないのでした。『指輪物語』を執筆する過程で、その前日譚ともども『シルマリルの物語』に繋げられることがわかったのです。

とはいえ、彼がはじめにモリアの名前を使ったときは、その地名が登場人物のせりふにあらわれるだけ。例えば、第一章、ビルボ・バギンズの袋小路屋敷で、ガンダルフがトーリン・オーケンシールドに向かってこう述べます。

ごぞんじのように、あんたのじいさんは、モリアの鉱山で、あるゴブリン小人の手にかかって殺されたな。

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この一文は、後になって『指輪物語』の展開に合わせて作者の手によって改訂されます。

そなたの祖父のトロールが、モリアの坑道でゴブリンのアゾグに殺されたことは、覚えているな。

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テキストの差は、トーリンの祖父の名前と、その彼を殺したゴブリン(オーク)の名前が出ているかどうかです。いずれにせよ、モリアの名前は『ホビットの冒険』初版から登場する、執筆の歴史としては古い部類の名前であることがここからわかります。

トールキン教授が『ホビットの冒険』の執筆をはじめたのは、1930年頃のこと。1937年秋に『ホビットの冒険』を上梓した彼は、その年の末頃から続編を書きはじめます。しばらくしてから「指輪の返還をモチーフにする」と決めたこの物語は、『指輪物語』として形成されていきます。

けれど、トールキン教授は、物語の展開の見当をなかなかつけられずにいました。執筆の過程において、アラゴルンが実は最初はホビットとして書かれたというのは有名なエピソードです。悩みながら執筆を続け、フロド・バギンズの前身となる人物を何とか裂け谷へ到着させた後、旅の仲間をモリアへ向かわせたのはある意味で必然だったのかもしれません。

ドワーフに失礼のない碑文を描くには?

ドゥリンの扉の碑文は、エルフ語を使用していると書きました。“モリア”ではよくないとすれば、何と記せばドワーフに失礼がなく、さらにこのようなことが気になる読者が満足するでしょうか? それに対しては、トールキン教授は答えを残していました。「ハゾドロンド」です。

ドワーフの居館のうち最大なるものは、カザド=ドゥーム、即ちドワロウデルフであり、エルフ語でハゾドロンドと言われるところである。

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カザド=ドゥームの意味するところが理解できるように、「即ち」と言い換えられた文章ですが、日本の読者にはカタカナの地名の羅列に感じられます。読者がそう受け取らないように、と、トールキン教授はドワロウデルフは翻訳する名称であるという意向を残しています。「ドワロウデルフ」は共通語の現代語訳ですから、「カザド=ドゥーム、即ちドワーフの館であり、」とするとわかりやすくなります。7

本題に戻ります。ドゥリンの扉には、モリアではなくハゾドロンドと書かれてあればよかったのでは、と前述しました。引用した通り、これがエルフ語のシンダリンで“ドワーフの館”を表すからです。シンダリンで“〜ロンド”という地名は第一紀のナルゴスロンドや、ヘルム峡谷のアグラロンドなどとも共通の要素です。

トールキンはモリアの響きを気に入っていた

ところで、トールキン教授がモリアの名前をどのように着想したのかは、生前に説明を残しました。これは1967年に書いた手紙の下書きです。ここから、彼がどのように言語を開発していったのか、その一端がうかがえます。

拙訳
モリアの地名は、『ホビットの冒険』第一章ではじめて登場しました。その章には、ダセントが翻訳した北欧の物語の一つ『ソリア・モリア城』からのちょっとした“模倣”があったと記憶しています。(この物語に興味をそそられませんでしたし、それ以来とっくに忘れて読むことはありませんでした。ですから、単にモリアの音の連なりの出どころに過ぎないのです。他のところで見つけたり、組み立てたりしたかもしれません。)私は音の連なりが気に入りました。これは‘mines’(鉱山)と頭韻を踏み、なおかつ私の言語体系の語根 MOR とも関連があります。
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エルフ語の語根 MOR を使用した例は、地名や人名に表れます。例えばモルドール(Mordor)、モルグル(Morgul)、モルウェン(Morwen)などがそうです。

手紙の中で言及されたジョージ・ウェッブ・ダセントは、イギリスの外交官でストックホルムにいたようです。帰国した彼は、『ノルウェー民話集(Norske Folkeeventyr)』を英語に翻訳して世界にこの物語集を広く伝えました。この物語集のうち9編を翻訳した瀬田貞二氏は、そのあとがきでこの物語集を「グリムにつづく世界へのおくりものとなり、今日も読みつがれる古典」9と評しています。実際、グリム兄弟も高く評価したようです。19世紀中頃のことです。

『ソリア・モリア城』はその後、アンドリュー・ラングによって『赤色の童話集』にも収録されました。この本は少年時代のトールキンにとってお気に入りの一冊だったようです。中でも気に入っていた『シグルドの物語』が入っていたからのようですが。このことから推測すると、『ソリア・モリア城』との接点は少年期かもしれませんし、『ホビットの冒険』を書き始めた頃には子供がいましたから、子供用の本の中にあって読んだのかもしれません。手紙の中にあるように印象に残らなかった様子ですが……。

それはそうと、トールキン教授はモリアの“音の連なり”をお気に召したんですね。言葉の音感を大切にしていた、トールキン教授らしいエピソードです。

一方、聖書のモリヤ(Morīah)との関連は否定しました。同じ手紙の中にこう書いています。

拙訳
「モリヤの地」(アクセントに注目)については、(“表面的”ですら)まったく関連がありません。本質的にも、採掘をするドワーフとアブラハムの物語には、なんの関連性も考えられません。そうした意味づけや象徴化はまったく受け入れられません。私の思考は、そのように働きません。それに(わたしの見解では)あなたは、私の物語で本来意図した意味づけで説明できない単なる偶然の類似性に惑わされているようですが、話すことよりつづりの方が明白です。
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これはトールキン教授が『指輪物語』の「著者ことわりがき」に書いた、寓意と適応性にも通ずる話です。こちらにもトールキン独特の見解が表れていますね。

門には「モリア」と書かれていたのか

『指輪物語』のドゥリンの扉の挿絵には、「モリア」ではなく「ハゾドロンド」など他の語が描かれているということはあり得るでしょうか? モリアの入口に至るまでずっとこの場所をモリアの名前で会話を続けてきましたから、ガンダルフが訳して聞かせる際に、仲間が理解しやすいように、ハゾドロンドをモリアと言い換えたかもしれません。ガンダルフは、碑文にエレギオンと描かれているところを柊郷に言い換えましたから、それを同じようなことをしたかもしれない、ということです。ただ、この仮説を採用するなら、赤表紙本にこの門の挿絵を描いた画家は、実物の通りではなく、ガンダルフが読み上げた文章を書き残したことになります。

それで、挿絵のテングワール、モリアを含む部分を読み解くとこのようになります。「Ennyn Durin Aran Moria.」が「The Doors of Durin, Lord of Moria.」となります。門の碑文には、「モリア」と確かに書かれているようです。

ドゥリンの扉のテングワールの碑文(一部) The Doors of Durin, Lord of Moria.
白い文字の部分、4つ目の単語がモリアに該当

門の挿絵は、トールキン教授の制作したデザインに基づいて、印刷工が複製したものです。これはきちんと彼に了承を得られたうえで印刷にまわされました。この最終的なデザインに至るまで、教授は1940年代から『指輪物語』第一巻が発売される前の1953年の長きに渡って考案を重ねたようです。少なくとも4度書き直されたと言われています。1940年代に書かれたというものまでさかのぼって確認しても、いずれも「モリア」と書かれていることがわかりました。11残念ながら、碑文を読み解くところに手がかりはないようです。

仮説と検証

ここまできたら、残る仮説を出し尽くしてみましょう。まずはじめに、ドワーフのように地下に住まうことを、エルフはどう思っていたのかを見てみましょう。

冥王とのたび重なる苦しい戦いを通じ、エルダールは必要に迫られ、やむをえず地下に砦を築くこともないわけではなかったが、好きこのんでそのような場所に住まう種族ではなかったからだ。かれらは緑の大地と天空に満ちる光を愛する民であったのだ。

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このために、一部のエルフはドワーフの住まいを好ましく思っていなかったかもしれません。それゆえ、平和な時代のうちにそうした認識を共有するエルフの仲間うちだけでハゾドロンドのことを「モリア」、“黒い深い穴”と呼んでいたと考えられるのではないでしょうか? この場合、第三紀にハゾドロンドがバルログに占領されて以降、内輪で使用されていたモリアの呼称が一般に広まったと考えることはできそうです。

内輪での通り名があるという事例は、例えば「ホビット庄の掃蕩」の後のホビットの文化に見られます。作り直された袋枝道、「新小路」を地元の一部のホビットが「シャーキー末路」といったように、一部のエルフがモリアと呼んでいたことが広まったという仮説です(この場合はブラックジョークが含まれていますが……)。ただ、これでは、ドゥリンの扉にモリアと書かれたことの説明にはなりません。

ここまでに出した仮説の他に、トールキン協会の会報誌のバックナンバーに興味深い仮説が寄せられていました。13わたしには考えつかず、ユニークだと感じましたので、ここで紹介いたします。

一つ目は、ドゥリンの扉に碑文を描く時点で、ケレブリンボールがモリアの名前を予期していたということ。中つ国のエルフや人間のあいだに先見の明があった事例は、『指輪物語』にも記述があります。例えば、「アラゴルンとアルウェンの物語」には、アラゴルンがエルロンドの中つ国を去ることを悟る場面がありますし、エルフの名付けの慣習においても、この力に言及があります。

二つ目は、ドゥリンの禍のあと、石匠が後から再加工したという仮説。これは占領された後、ドワーフが命からがらモリアから脱出したと考えると、かなりの危険を伴う仕事のように感じられます。けれど、モリア西門に大きな池ができたのはドゥリンの禍より後であることを思い起こせば、早い段階であればフロドを襲ったような水中の監視者からの危害はなかったかもしれず、可能かもしれないですね。その仕事が必要と判断されればのことですが……。

三つ目の仮説は、最初に“モリア”とエルフによって読み上げられた時点で、イシルディンで描かれた魔法の文字が変更されたというもの。これなら2つ目のような危険はありませんし、ノルドール族の技芸と想像すると一考の価値があり、夢が膨らむ仮説でもあります。中つ国には、オルクリストやつらぬき丸のようにオークが近づくと青く光る剣や、遠くにいる人と意思疎通のできるパランティーアが存在しました。ましてケレブリンボールはフェアノールの血を受け継いだことを考えると、わくわくするものがあります。

最後の仮説は、ドゥリンの扉の碑文の解読のところに書いたのと同じく、ガンダルフがハゾドロンドと描かれている碑文をモリアと読み上げたという仮説でした。

終わりに

なぜ、ドゥリンの扉に“モリア”と描かれているのか――。ここまで見てきたように、トールキン教授によって確かな理由は示されなかったようです。わたし個人としては、既に述べた通りエルフ語(シンダリン)で“ドワーフの館”を意味する「ハゾドロンド」と描かれていたらよかったと考えています。けれども、優美なテングワールの文字のバランスをとるために一度完成した挿絵に手を入れなくてはなりませんし、音に出した時の響きもかわります。「ハゾドロンド」と「モリア」ですからずいぶん違いますね。そういうわけで、わたし自身は「モリア」の音の響きに着目することにしようという結論に至りました。こうしたささやかな疑問を調べていくと、思いもよらない事実に巡り合うことは、トールキン作品を考察するうえでの楽しみです。

参考文献

  • J・R・R・トールキン著, 瀬田貞二訳 『ホビットの冒険』 岩波書店
  • J・R・R・トールキン著, 瀬田貞二、田中明子訳 『新版 指輪物語』全7巻 評論社, 1992年
  • J・R・R・トールキン著, クリストファ・トールキン編, 田中明子訳 『新版 シルマリルの物語』評論社
  • J・R・R・トールキン著, クリストファ・トールキン編, 山下なるや訳 『終わらざりし物語』 河出書房, 2003年
  • ハンフリー・カーペンター著, 菅原啓州訳 『J.R.R. トールキン―或る伝記』 評論社
  • J.R.R. Tolkien, The Hobbit Facsimile First Edition, 2017.
  • J.R.R. Tolkien, Christopher Tolkien (ed.), The Peoples of Middle-earth, “XI. The Shibboleth of Fëanor”, 1996.

出典

  1. ^J・R・R・トールキン著, 瀬田貞二、田中明子訳 『新版 指輪物語 第二巻 旅の仲間〈下〉』 評論社, 1992年, 171,175頁
  2. ^J・R・R・トールキン著, 瀬田貞二、田中明子訳 『新版 指輪物語 第七巻 追補編』 評論社, 1992年, 194頁
  3. ^J・R・R・トールキン著, 瀬田貞二、田中明子訳 『新版 指輪物語 第二巻 旅の仲間〈下〉』 評論社, 1992年, 188頁
  4. ^J・R・R・トールキン著, 瀬田貞二訳 『ホビットの冒険 上(新版)』 岩波書店, 2000年, 58頁
  5. ^J・R・R・トールキン著, 山本史郎訳 『新版 ホビット: ゆきてかえりし物語 第四版・注釈版』 原書房, 2012年, 31頁
  6. ^J・R・R・トールキン著, クリストファ・トールキン編, 田中明子訳 『新版 シルマリルの物語』評論社, 169頁
  7. ^教授は‘Dwarf’ + ‘mine, digging, excavation’と指示を残していることから、直訳すれば「ドワーフの坑道」などになりますが、“カザド(ドワーフ)の館”を表すカザド=ドゥームに対応する訳語であることから、記事上では理解のためにドワーフの館と訳しました。
    Wayne G. Hammond, Christina Scull,The Lord of the Rings: A Reader’s Companion, ‘Nomenclature of The Lord of the Rings’, p. 769
  8. ^J.R.R. Tolkien; Humphrey Carpenter, Christopher Tolkien (eds.), The Letters of J.R.R. Tolkien, no. 297.
  9. ^瀬田貞二訳 『ソリア・モリア城』 ぽるぷ出版, 1979年, 286頁
  10. ^J.R.R. Tolkien; Humphrey Carpenter, Christopher Tolkien (eds.), The Letters of J.R.R. Tolkien, no. 297.
  11. ^Wayne G. Hammond, Christina Scull,Art of The Lord of the Rings, pp. 66-71.
  12. ^J・R・R・トールキン著, 瀬田貞二、田中明子訳 『新版 指輪物語 第七巻 追補編』 評論社, 1992年, 194頁
  13. ^Tolkien Society, Amon Hen 103, ‘Letters’, May 1990, p. 25.

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