The Study of Bag End

トールキンが従卒をサムと呼ぶまで

2019年に劇場公開された『トールキン 旅のはじまり』は、J・R・R・トールキンの苦難の多い前半生を描きました。わたしが確認した範囲では、この作品は大部分の劇場で日本語字幕版が上映されたのではないかと思います。この日本語字幕は、約20年間の出来事が錯綜しながら展開される登場人物たちのせりふを、わかりやすく説明してくれます。

ところが、ある一点において英語音声とは異なる名称を使用した箇所があり、そのことがこの映画をややわかりにくいものにしてしまったのではないかと考え、このささやかな解説を書くことにしました。日本語字幕版のみを観賞していて、『トールキン 旅のはじまり』の戦地での終盤の状況がピンとこなかった人のヒントになれば幸いです。

『トールキン 旅のはじまり』 iTunesデジタル配信版で確認した、該当箇所のだいたいの時間を表記します。

クレイグ・ロバーツが演じる従卒サム

『トールキン 旅のはじまり』を観賞したら、第一次世界大戦の戦地フランスのソンムにおいて、将校のJ・R・R・トールキンに付き従う一人の従卒の存在は、印象に残るのではないかと思います。彼の名前は、サム・ホッジズ(Sam Hodges)といい、実際には存在しなかった、映画のオリジナルキャラクターです。出番は少ないながら、重要な役割を負っています。ほとんど説明するまでもなく、トールキン作品においてサムといえば、『指輪物語』でフロド・バギンズに身を尽くしたサムワイズ・ギャムジーを連想させるからです。彼の話し方(アクセント)さえ、ピーター・ジャクソンの『ロード・オブ・ザ・リング』での彼とそっくりです。

日本語字幕版で、トールキンはその従卒を一貫して「サム」とファーストネームで呼びますが、英語音声に耳を傾けると、実は「ホッジズ」とファミリーネーム(名字)で呼んでいる場面もあるのです。この呼び方を「サム」に変えた時、映画の演出ではその呼び名を強調するように、登場人物(トールキン)に何度も彼を「サム」と呼びかけさせました。それが物語の分かれ目で、次に目を覚ました時、トールキンは捨て身でジェフリーを探し回ることになるのです。

トールキンとサムの場面は、そう多くありませんから、実際にせりふを見ていきましょう。

宿舎から出発するトールキンと、追いかける従卒

物語の冒頭です。手紙を胸ポケットにしまい込み、身支度をして兵舎を出発するトールキンを、従卒がとどまるよう説得を試みます。以下は日本語字幕版の二人の会話です。

ホッジズ: また熱が上がりますよ
トールキン: サム お前は戻れ

この台詞を観客が聞けば、たちまちサム・ギャムジーの姿を思い出すでしょう。しかし、それは日本語字幕においてのみです。英語音声・字幕、日本語吹替ともに、ここでトールキンは従卒をサムとは呼ばず、ホッジズと呼びます。

トールキン: ホッジズ、ついてくるな (日本語吹替)
トールキン: Look, Hodges, stay here. (英語音声・字幕)

この会話は、0:02:00-0:02:55頃に出てきます。

夜が明けて、休憩しながらの会話

少年時代のトールキンとエディスが笑顔を交わし、心の通う様子が描かれたあと、場面は明るくなったソンムへ切り替わります。体調不良を押して塹壕を歩き続けてきたトールキンは、具合悪そうに座り込みます。しかし、従卒にはこう述べます。また、日本語字幕から見ていきましょう。

トールキン: 宿舎に戻れ

この時、英語ではファミリーネームで従卒の名を呼びかけています。

トールキン: 君は兵舎にもどれ、ホッジズ (日本語吹替)
トールキン: Go back to barracks, Hodges. (英語音声・字幕)

危険を顧みない行程に、従卒を頑なに連れて行こうとしないトールキンは、『ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間』(第一部)終盤の、ネン・ヒソイルでのサムに対するフロドと重なってみえるかもしれません。しかし従卒は上司の言うことを聞きません。彼はこう言います。以下も日本語字幕のせりふです。

ホッジズ: ここは中間地点 戻るも進むも同じです
トールキン: 頼むから

トールキンはこの時も、英語音声では部下の名をファミリーネームで呼びます。

トールキン: ホッジズ、頼む (日本語吹替)
トールキン: Hodges, Please. (英語音声・字幕)

この会話は、0:22:40-0:24:00頃に出てきます。

危機から逃れ、赤い水たまりのある砲弾跡にて

塹壕を走って危機から逃れると、砲弾跡には多くの死体があり、血を連想させるような赤い水たまりができていました。倒れ込み、身動きがとれなくなったトールキンは、従卒にジェフリー・バッチ・スミスを探してくれるよう依頼します。トールキンの身を思い留まる意思を伝えると、トールキンはそれを命令だといいます。これはあまりにひどい任務だと思うのですが……。

それはさておき。個人的な解釈では、ここに至るまでにトールキンは、参ってしまったという描写だととらえています。毒ガスの影響もあるかもしれませんが、ここではじめて従卒のことをファーストネームでサムと呼びます。幻覚でものを言っているか、すでに悪夢の一部かもしれません。

トールキン: 頼みがある サム / 私は休息が必要だ (日本語字幕)

最初から無理を押しての行程でしたからね……。

トールキン: 君に頼みがある / 自分は動けない (日本語吹替)
トールキン: I need your help. / I need to rest, Sam. (英語音声・字幕)

この後、念を押すようにサムと連呼します。トールキンがこの従卒をサムと呼んだことを、観客が聞き逃さないように、念を入れた演出であることがうかがえます。ここは一つの転換点です。

ホッジズ: 一緒にいます
トールキン: サム

トールキン: サム (日本語吹替)
トールキン: Sam. (英語音声・字幕)

トールキンは頑として譲りませんが、従卒も頑固さでは負けません。サム・ギャムジーにもそういうところがありますね。

ホッジズ: 残ります
トールキン: サム

トールキン: サム (日本語吹替)
トールキン: Sam. (英語音声・字幕)

任務を引き受けるしかないと認めた従卒は、思いやりにあふれています。ブランケットを取り出し、トールキンの体にかけてやると、彼は一人で出発します。

トールキン: ありがとう

トールキン: ありがとう、サム (日本語吹替)
トールキン: Thank you, Sam. (英語音声・字幕)

この会話は、0:56:00-0:57:00頃に出てきます。

映画には、この後、ランカシャー・フュージリア隊を見つけて戻ってきた従卒とトールキンの場面が描かれますが、もはやトールキンは従卒をほとんど気にかけることもなく、呼びかけもないため省きます。

個人的には、この呼び方の変化に気がつくことで、作品の理解の手助けになると考えていますし、映画もそのように作られたと感じています。字幕には文字数制限があり、シビアな世界であるとは聞き知っていますが、日本語字幕での呼び名をすべてファーストネームにしてしまったことは、好ましくないと考えます。

トールキンはソンムでサムに出会ったのか

先に、従卒の「サム」は実在しなかったと書きました。では、なぜ従卒の彼は、「サム」と名付けられたのでしょう。これは、以下を読めば、トールキンの過去の発言から形作られたものだとわかります。

「わが『サム・ギャムジー』は、実はイギリス兵の、1914年の戦争で知った兵たちや従卒たちの、おもかげを伝えたものである。彼らは私よりずっと立派だと、今でも私は思っている」

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トールキン教授にとってのサムワイズ・ギャムジーは、ある一人の兵士ではなく、多くの人たちから受け取った印象から描かれたと、トールキンは説明します。そしてまた、トールキン教授は、作家個人の人生と、作品を結びつけて批評されることを嫌いました。サム・ギャムジーは、従卒のサムだったんだと解釈することより、例えば、作者が彼らのどういう面に美徳を感じたのか、何をどう描いたのかに着目するほうが、物語を読者が自由に読むことができるようになります。

この映画は、他にも「あれはトールキン自身のあれだったんだ」という感想を抱きやすい表現が他にも見られます。例えば「『指輪物語』でホビットが4人なのは、T.C.B.S.の4人を表しているんだ」といったような結びつけ方は、エンドロールの影響も相まって観客は容易くできるでしょう。この点においては、トールキン作品について誤解されてしまう可能性があります。

『指輪物語』追補編に収録されている(原書では第一巻の序文)著者ことわりがきをお読みになれば、トールキンがこうした点についてどう考えているのかがよくわかります。