The Study of Bag End

セント・ジョン通りの家 59番地と50番地

トールキンはオックスフォードのセント・ジョン通りに、一度は学生のうちに、二度目は結婚してから家族で住んでいました。

59番地

トールキンがセント・ジョンズ通りに最初に住んだのは、1914年夏にコーンウォール旅行から帰ってきた後のことです。最初は59番地でした。12

1914年8月にイギリスはドイツに宣戦布告して、第一次世界大戦に加勢していました。トールキンがオックスフォードへ戻ってきた時に、知り合いの中で唯一大学へ戻ってきていたコリン・カリスと一緒にここで暮らしました。1915年7月に召集がかかり、しばらくのあいだオックスフォードを離れることになります。3

エディスさんとは正式に婚約をした後でしたが、エディスさんはウォリック、トールキンはオックスフォードと、離れて暮らしている時期ですね。その後は1918年11月までオックスフォードに戻ってこれませんでした。4

この家に住んでいる期間は、「エアレンデルの航海」など、のちに中つ国の断片となっていく作品の創作をした重要な時期でした。T.C.B.S.のメンバーからの励ましもあり、トールキンにとって最良の時期のひとつに数えられるのではないでしょうか。56

50番地

トールキンは、第一次世界大戦でソンムからイングランドに戻ってきた後、終戦まで入院と軍務で住むところを転々と変えていました。1917年には、トールキンとエディスさんの間には第一子のジョンが生まれていました。7

エディスさんがウォリックでの住まいから同居しているジェニーも一緒に、セント・ジョン通りに戻ってきました。それが50番地です。

セント・ジョン通りの旧宅

辞書編纂の仕事を得たからですが、その仕事をしているうちに大学で教えるようになり、トールキンの仕事は徐々に変化していきました。1918年11月末から1919年夏の終わりまでここに住み、この次はここからほど近いピュゼー通り一番地に引っ越して、その後でリーズへ行くことになります。8

セント・ジョン通りの家の扉

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