The Study of Bag End

トールキンが教授職をつとめたマートン学寮

J・R・R・トールキンがつとめた二つ目の教授職は、マートン学寮の英語英文学教授職です。1945年にペンブローク学寮から移ってきて、1959年に引退しました。移籍はちょうど『指輪物語』の執筆真っただ中の期間ですね。

午後の訪問者開放の時間帯に学寮内を見学してきました。秋晴れのマートン学寮、本を持ってベンチに座って読書をしたい心地よい時間が流れていました。案内図を渡され、個々に歩いて見学します。

マートン学寮
マートン通りの入口からすぐの前方庭(Front Quadrangle)

マートン学寮はオックスフォードの中でもかなり古い部類で、1264年に設立されました。ハイ・ストリートから一本入るので喧騒から離れ、本当に映画に出てくるような雰囲気です。

マートン学寮内の花
学内は大きな木や花などの植物がいたるところに
マートン学寮内のベンチ
このベンチで読書したい

渡された案内図のガイドの解説によると、トールキンの学寮の部屋はフェローズ・クアドラングルを取り囲む建物のメドーに面した側(下の写真とは反対側)にあったそうです。マートン・フィールドの一望できる気持ちのいい部屋だったのでしょうね。

マートン学寮
フェローズ・クアドラングル(中庭)
マートン学寮
マートン・フィールドごしにマートン学寮。旧トールキン部屋の窓も写っているのかも。

トールキン一家はマートン学寮に移ってから、引っ越しを繰り返します。その間に子供たちもどんどん独立していきます。長らく住んでいたノースムーア通りの一軒家を離れ、マートン学寮のマナー通り3番地、同じくホリウェル通り99番地、オックスフォード郊外ヘディントンのサンドフィールド通りの一軒家、の順に、10年にも満たない年数の間に3度も転居しています。それも『指輪物語』の出版へ向けての改訂などなどと、大学の仕事も抱えながらです。たいへんだったのでは…。

クライストチャーチ・メドー
マートンフィールド南側からクライストチャーチ・メドーがすぐ

妻エディスが亡くなったあと、トールキンはボーンマスからオックスフォードに戻ってきて、マートン学寮の名誉特別研究員となり、晩年はマートン通り21番地に住まいました。

トールキンに関する話ではありませんが、マートン・カレッジの奥のほうにひっそりとエリック・ギルが制作したモニュメントがあります。マートン学寮の学生だったアンドリュー・アーヴィンは、1924年に第3次エベレスト遠征隊に参加するも、頭頂付近で行方不明になってしまったそうです。それで作られたモニュメントということですが、パートナーのジョージ・マロリーと共に頭頂を果たしたかどうかは謎のままなんだそうです。エベレスト初登頂が果たされるのは1953年のことでまだまだ先ですね。エリック・ギルは彫刻家、書体デザイナーとして有名でトールキンの『指輪物語』原書の初版を飾った書体は、偶然にもギル制作の書体です。

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