The Study of Bag End

プラウ・アンド・ハロウ

プラウ・アンド・ハロウ ホテルの玄関にはトールキンが宿泊した場所だと示すブルー・プラークがあります。

このホテルのあるバーミンガムのエッジバストン地区には、トールキンが少年時代を過ごした家が数カ所あります。エディスさんと出会ったのも同地区。お二人にとって馴染みのある土地なんですね。このホテルのすぐ近くにバーミンガムのオラトリオ会があり、トールキンはエディス夫人とフランシス・モーガン司祭に会いにきて、ここへ宿泊しました。1

プラウ・アンド・ハロウ
プラウ・アンド・ハロウ

この周辺は今はビジネス街といった趣き。ホテルの目の前の大通りは自動車がひっきりなしに走っています。ホテルの中も客室の他に会議室があって、周辺の変化に応じてこのホテルも姿を変えてきたのかもしれません。ちなみに結婚式のホールもあります。でもトールキンとエディスさんが結婚式をしたのはウォリックでした。

でもここに来たのはフランシス・モーガン司祭に会いにきてのことだと思います。若い二人がモーガン司祭に結婚のことをなかなか報告できずにいたエピソードが残っています。オラトリオ会はここから目と鼻の先です。トールキン夫妻がここを訪れたのは、第一次世界大戦に赴く直前のこと。一晩の滞在だったようですから、慌ただしかっただろうと思います。ここのブルー・プラークの内容は1916年6月に宿泊したという内容ですが、トールキンは6月6日には戦争のためにフランスに着いていましたから…。2

ハグレー通り
ホテル前の大通り
ブルー・プラーク
ブルー・プラーク

1905年のこのホテルを外から撮った写真では、前の大通りを荷馬車が走っています。3トールキンが少年時代をエッジバストンで過ごしたのは1902年からオックスフォードへ行くまでの1911年のことでしたから、こういった光景を見て暮らしていたのだろうと思います。トールキン一家がはじめて自動車を持つ1932年まではずっと後のことですね。

プロウ・アンド・ハロウというホテルの名前は、日本語にすると鋤と馬鍬です。どちらも農耕道具ですね。ホテルのシンボルにもなっています。このホテルが建てられたのは1704年。4今とは王朝も異なる時代です。現在は新館もありますが、スイートルームやトールキン夫妻が宿泊した部屋はおそらく昔からある建物(本館と呼んだらいいのかしら)のほうにあるのだと思います。

シンボル

せっかくエッジバストンを訪れたので、このホテルに宿泊してきました。客室は新館に通され質素でしたが、本館のラウンジやレストラン、本館の廊下などは重厚なインテリアが魅力的です。木材と絨毯の組み合わせが素敵で気に入っています。トールキンが泊まった頃からどれくらいかわったのでしょうか?

館内
館内
館内

こういったオールドスタイルがお好みのかたは宿泊するのも楽しいと思いますよ。エッジバストン地区のトールキンゆかりの地めぐりをするのにも便利な立地でした。

プラウ・アンド・ハロウの地図

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