The Study of Bag End

ノースムーア通り 22番地・20番地

トールキン一家は、ノースムーア通りで21年間暮らしました。1926年のはじめから1947年までのことです。
リーズから移ってきて、同じくオックスフォードのマナー通りに転居していきました。その間に末娘のプリシラさんが誕生したり、22番地から隣の20番地へ転居しています。『ホビットの冒険』や『指輪物語』の執筆は、この家(20番地)で書かれたのです。

この一帯はオックスフォード大学の建物があるエリアからは北側で、中心地からは少し離れていますね。ノースムーア通りは全長約500mの南北に走る通りで、現在は、教会がありますがほとんどが住宅のようです。トールキン教授が唯一、車を所有していたのもこの時期ですが、通勤は自転車だったようです。

22番地

トールキンはこの家を新築で購入しました。今でこそ空き地はありませんが、その当時はまだ家を建てる余裕もわずかにあったとのこと。プリシラさんが誕生したのはこちらの家での出来事で、隣居への引っ越しの直前の1929年のことです。引っ越すことになったのは、こちらの家はトールキン単独の判断だったことが理由なのでしょうか。エディスさんには手狭に思われたようです。

トールキン展の図録には、幼いクリストファとこの家の庭で昼寝をするトールキンの写真(114番)が掲載されていますね。他にも、両方の家で撮った写真はたくさん載っていて、トールキン一家の子供たちの成長がよくわかります。

写真:22番地

20番地

1930年はじめに20番地へ転居しました。トールキン教授は1月に38才を迎えた年ですね。以前の居住者はバジル・ブラックウェルで、彼はブロード通りのブラックウェル書店の経営者でした。20番地も22番地と同じ頃に建てられた住宅なのでしょうか。

写真:20番地
写真:20番地

この家にはブルー・プラークが掲げられています。高いところにあり、肉眼で確認するのは難しいかもしれません。

写真:20番地のブルー・プラーク

『指輪物語』の中で、サムのいとこのハルが北の沼地で7ヤードを一跨ぎで歩く巨人の木男を見かけたという話が出てきます。この話の原型は『影の帰還』に載っている草稿を読むと、執筆の早い段階から登場しています。この「北の沼地」をトールキンは「North Moors」と表記していますが、家の前がノースムーア通りだったことは、偶然とは言いがたいのではないでしょうか。

写真:ノースムーア通りの道路標識

トールキンにゆかりのある土地の道路標識を見るだけでも、とてもわくわくします。

余談ながら、ロンドンの中心部以外の道路名標識は、書体デザイナーのデヴィッド・キンダーズリーによるもの。彼はエリック・ギルの工房にいたそうですが、トールキンの『指輪物語』原書の初版、タイトルはギルのパーペチュアなんですよね。マートン学寮にギル制作の彫刻がありました。

マップ

ウルバーコート墓地への道中の途中にあるので、その前後に行くのがいいと思います。

参考文献

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