The Study of Bag End

『トールキン 旅のはじまり』劇場用プログラム

『トールキン 旅のはじまり』劇場用プログラム、いわゆる映画パンフレットです。トールキン教授の半生や作品、映画双方の背景を丁寧に解説していて、読み応えは十分です。映画を観賞した後に読むと、より深い視点で作品を見ることができます。


目次

  • イントロダクション
  • ストーリー
  • [インタビュー] ニコラス・ホルト
  • [インタビュー] リリー・コリンズ
  • キャストプロフィール
  • J・R・R・トールキン ヒストリー
  • J・R・R・トールキン キーワード
  • トールキンが手掛けた書誌 ※目次に記載があるが、含まれていない
  • [エッセイ] ファンタジーの潮流を決定付けた「指輪物語」に込められた祈り/金原瑞人(翻訳家・法政大学教授)
  • [インタビュー] ドメ・カルコスキ監督
  • スタッフプロフィール
  • プロダクションノート
  • [レビュー] 等身大の親密さをもたらしてくれるみずみずしい青春映画/森直人(映画評論家)

書誌

書籍名
FOXサーチライト・マガジン vol.15 「トールキン 旅のはじまり」劇場用プログラム
ページ数
47ページ
発行・編集
株式会社ムービーウォーカー
発行日
監修
森瀬繚
ISBN
なし
言語
日本語
定価
760円(税別)

史実に関するエラー指摘

『トールキン 旅のはじまり』自体が、トールキンの伝記をかなり脚色しているため、映画の内容ではなく、伝記に関して伝わっていることとの相違点を述べます。太字がプログラムの該当部分からの引用です。後ろにページ番号を付記します。引用文の[]内はわたしが加筆しています。

  1.  年末、トールキン一家はバーミンガム郊外のモーズリーの借家に引っ越す。まもなくバーミンガムのキング・エドワード校に通い始める。」(18-19ページ)
    トールキン一家がセアホールから引っ越すことになった理由は、ジョン・ロナルドのキング・エドワード校までの道のりが遠かったからです。『或る伝記』を読むと、彼の通学の苦労がわかります。1 ですから、引っ越した後に通い始めるというのは、順番が逆です。
    このプログラムの「ヒストリー」は『或る伝記』の内容をベースに作成していると思いますが、後年の研究では、9月の終わりまでにモーズリーの借家(アルセスター通り214番地)へ転居していたとわかっているようです。同年のうちか翌年の早い段階で、さらにキングス・ヒース駅裏手のウェストフィールド通り86番地に引っ越しをしました。2
  2.  [前略]2人はひそかに逢瀬を重ね、夏ごろには恋人同士になっていた。」(18-19ページ)
    これは1909年の夏だと言われています。3
  3. 「ロナルドの後見人によりいったん引き離されたエディスは、」(20-21ページ)
    フランシス司祭は、エディスとの関係を清算しないと受け取り、トールキン兄弟を転居させました(ハイフィールド通りの下宿への転居)。エディス自身には直接的に影響を及ぼす権利はありませんでした。彼女がチェルトナムに移ることは、彼女自身の決断です。4
  4. 「[キング・エドワード校においてロナルドは、]体調不良や学校の教育水準の低さなどによる休学、退学など紆余曲折を経て、1903年に本格的に通い始めた。」(20-21ページ)
    8歳でキング・エドワード校に通い始めた時に環境の変化になじめずに欠席したり、母親の入院に伴い、ブライトンの親戚に預けられたことから休学したことがあります。キング・エドワード校を退学したのは、オラトリオ会のグラマースクールへの転校のため。ここでなら、カトリックの教育が受けられて、学費も抑えられるということが転校の理由でした。教育水準が低かったのは、そちらの学校のことです。教育の重要性を理解していたトールキンの母メイベルは、改めて兄弟をキング・エドワード校へ復学させます。この時の受験では、トールキンは奨学金を得たということですから、彼の優秀さは早い段階で際立っていたのでしょうね。5
  5. [前略]一つはエディスが踊るシーンだね。あれは1914年に実際にあったことで、エディスは森で踊り、トールキンはベレンとルーシエンの物語を書いた。」(24ページ)
    トールキン教授が踊るエディスさんから着想を得て、ベレンとルーシエンの物語を書いたのは有名なエピソードですが、これを語った監督は1917年のことを1914年と記憶されていらっしゃるのだと思います。オーディオコメンタリー 6 や、後にTheOneRing.netの同時視聴配信 7 の際にも同様に1914年とおっしゃっていました。ですが、トールキン自身が後年、手紙の中で1917年のことであると書いています。8 この頃は第一次世界大戦中で、若きトールキンは傷病兵としてソンムから帰還した後のことでした。
  6. 「ある時、エディスはトールキンと高級レストランへ行き、周りの人の帽子に角砂糖を投げ込んだ。」(28ページ)
    伝記には、バーミンガムの「歩道を見下ろすバルコニーのついたある喫茶店で、バルコニーに座っては通行人の帽子の中に角砂糖を投げ入れ[後略]」 9 とあります。
  7. [前略]ルーシエンの創作の基になった、ツガの木立の中で踊るエディスの姿をトールキンが見つめるシーンだ。」最初に思いついたのは、ツガの木々が生い茂る低湿地の森の中だった。」(28-29ページ)
    ヘムロック(hemlock)を辞書で引くと「ドクニンジン」、「ドクゼリ」または「ツガ」とあります。10 トールキン教授はヘムロックを花と言っていますから、ヘムロックをツガ(マツ科の針葉樹)にしてしまうと、風景がまったく異なるのです。11 12
  8. 「ルーシエンを、エディス・ルーシエンと書いたことはない。」(29ページ)
    トールキンは‘I never called Edith Luthien.’13 と書きましたから、文法はSVOCで、「エディスをルーシエンと呼んだことはない」というニュアンスであると思います。
  9. [前略]フォークナー夫人の下宿は、20年は補修されていない大きなエドワード朝の家を使って、(30ページ)
    オーディオコメンタリーで監督は、「ヴィクトリア朝風」と述べていました。14 また、この建物は1876年建築15 ということなので、ヴィクトリア朝ですね。

懸念事項

エラーではありませんが、気になった点を挙げます。引用などの方法は上段と同様です。

  1. 「1913年 [前略]21歳の誕生日にエディスに求婚の手紙を書くが、エディスがほかの男性と婚約したと知り、これ以上追いかけてはいけないと悟る。だが、チェルトナム駅で再会したことをきっかけに、愛は復活する。」(18-19ページ)
    トールキンは、自身の21歳の誕生日1月3日にエディスへ手紙を書き、5日後の1月8日にはチェルトナムで彼女と再会しました。その間に返信をもらい、記述の通りエディスが婚約したことを知ったうえで、さらに返信をして会う約束を取り付けます。エディスからの返信は、連絡をもらったことで心が変わり、トールキンの告白を受け入れる気持ちがあることを読み取れるものだったようです。16 チェルトナム行きには復縁の希望が灯っていたのではないでしょうか。この時、復縁に向けてトールキン自身が積極的に行動している点で、映画でのトールキンの描写とは全く異なります。紙面の都合と受け取っていますが、当時のトールキンを想像するにはやや不十分のように感じました。
    トールキン青年は、列車でチェルトナムへ向かったようですが、それがチェルトナム駅だったと明記している研究者は、私が探した限りいませんでした。当時は、エディスさんの住まいにより近いところにも鉄道駅があったようですから、そちらの駅で待ち合わせた可能性もあるなと思っています(根拠のない勝手な想像ですが)。17
  2. 「1930年代初頭 試験の採点中、白紙の解答用紙に「地面の穴の中に、ひとりのホビットが住んでいました」という一文を書き込む。またこのころ、考古学者モーティマー・ウィーラーから、ハンプシャーで発掘されたローマ属領時代の黄金の指輪、シルウィアヌスの指輪のことを知らされたらしい。」(18-19ページ)
    トールキンの創作に影響したという含みのある記述です。シルウィアヌスの指輪がサウロンの一つの指輪の着想となったというようなことは、以前からテレグラフ紙やガーディアン紙などで取り上げられていますが、賛否両論あるようです。トールキンの伝記作家ジョン・ガースさんは2020年に発売された『The Worlds of J.R.R. Tolkien』の中で、否定的な見解を述べました。18 一つの指輪の創作上の形成からも、ガースさんの見解には一理あると考えています。

参考文献

  • 『トールキン 旅のはじまり』 劇場用プログラム, 20世紀フォックス映画, 2019年
  • ハンフリー・カーペンター著, 菅原啓州訳 『J.R.R. トールキン―或る伝記(新装版)』 評論社, 2002年
  • John Garth, Tolkien and the Great War, 2003.
  • Wayne G. Hammond, Christina Scull,The J. R. R. Tolkien Companion and Guide: Volume 1: Chronology, Rivised and expanded edition, 2018.

出典

  1. ^ハンフリー・カーペンター著, 菅原啓州訳 『J.R.R. トールキン―或る伝記(新装版)』 評論社, 2002年, 35〜36頁
  2. ^Wayne G. Hammond, Christina Scull,The J. R. R. Tolkien Companion and Guide: Volume 1: Chronology, ‘1900’
  3. ^ハンフリー・カーペンター著, 菅原啓州訳 『J.R.R. トールキン―或る伝記(新装版)』 評論社, 2002年, 54頁
  4. ^ハンフリー・カーペンター著, 菅原啓州訳 『J.R.R. トールキン―或る伝記(新装版)』 評論社, 2002年, 57-58頁
  5. ^ハンフリー・カーペンター著, 菅原啓州訳 『J.R.R. トールキン―或る伝記(新装版)』 評論社, 2002年, 27, 36, 38-39, 41頁
  6. ^『トールキン 旅のはじまり』特典メニュー「ドメ・カルコスキ監督による音声解説付き」 34分頃
  7. ^TOLKIEN watch along with Director Dome Karukoski #TORNTuesday – YouTube (link), 0:50:00-0:51:00 Updated 12 May 2020 (accessed 30 July 2020)
  8. ^J.R.R. Tolkien; Humphrey Carpenter, Christopher Tolkien (eds.), The Letters of J.R.R. Tolkien, no. 257.
  9. ^ハンフリー・カーペンター著, 菅原啓州訳 『J.R.R. トールキン―或る伝記(新装版)』 評論社, 2002年, 54頁
  10. ^ 『ジーニアス英和辞典 第五版』 大修館書店, 2014年, ‘hemlock’
  11. ^J.R.R. Tolkien; Humphrey Carpenter, Christopher Tolkien (eds.), The Letters of J.R.R. Tolkien, no. 165.
  12. ^J.R.R. Tolkien, The Lord of the Rings: The Fellowship of the Ring, ‘XI A Knife in the Dark’, 1954
  13. ^J.R.R. Tolkien; Humphrey Carpenter, Christopher Tolkien (eds.), The Letters of J.R.R. Tolkien, no. 340.
  14. ^『トールキン 旅のはじまり』特典メニュー「ドメ・カルコスキ監督による音声解説付き」 27分50秒頃〜
  15. ^Beach Lawn, Liverpool, L22 | Century 21 UK (link), (accessed 30 July 2020)
  16. ^ハンフリー・カーペンター著, 菅原啓州訳 『J.R.R. トールキン―或る伝記(新装版)』 評論社, 2002年, 79頁
  17. ^Cheltenham Spa railway station – Wikipedia (link), Last updated 19 May 2020 (accessed 30 July 2020)
  18. ^John Garth,The Worlds of J.R.R. Tolkien, ‘Appendix’, p. 187.

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