ボロミアはどうやって裂け谷にたどり着いたのか

ボロミアが「エルロンドの会議」に出席したのは、偶然の出来事でした。[1]ピーター・ジャクソン版「ロード・オブ・ザ・リング」では裂け谷の場所を知っていて、会議に招集されたかのようにレゴラス、ギムリと同じように登場します。

実際には、ボロミアはミナス・ティリスから裂け谷に至るまで110日の長旅をしている[2]上に、出発時には裂け谷の場所をおおよそでも把握していたのかさえ、定かではありません。想像される苦労と忍耐の割に、彼の旅はトールキン教授によってあまり明らかにされませんでしたが、一冊の冒険譚になるような旅だったのではないかと想像しました。

なぜ裂け谷を探したのか

ボロミアがこの苦労を買ってでも裂け谷を求めたのは、自国ゴンドールの危急存亡が迫っているなか、[3]弟のファラミアがお告げの夢をくり返し見たことに端を発します。[4]

折れたる剣を求めよ。そはイムラドリスにあり。
かしこにて助言を受くべし、モルグルの魔呪より強き。
かしこにて兆を見るべし、滅びの日近きにありてふ。
イシルドゥアの禍は目覚め、小さい人ふるいたつべければ。[5]

この言葉の意味を父御にしてゴンドールの支配者・執政であるデネソール二世に相談して、得られた答えはあまりあてになりませんでした。デネソール候も伝承の大家ですが、ボロミアが行くことをいやがった時にさえそれ以上の見解を与えなかったということは、デネソールにしても知り得ないことだったのではないかという推測ができます。[6]

イムラドリスというのは昔からエルフの間で、遠い北方に存在する谷の名前として用いられている。そこには、伝承の大家中の大家、半エルフのエルロンドが住まっていると。[7]

どうやって裂け谷の場所を見つけたのか

前述の通り、父御からの回答からは裂け谷の在りかは「遠い北方」ということしかわかりませんでした。ただしミナス・ティリスの伝承家はデネソールだけではないでしょうし、ガンダルフがピピンを連れて都を訪れた時には謎歌は都の人間が誰でも知っていることのようなので、ボロミアとファラミアはミナス・ティリスの書架を探しただけでなく、伝承家のところを回ったのではないかと想像しました。

第二紀の終わりにイシルドゥアが裂け谷に母子を残してきたように、かつてはミナス・ティリスと裂け谷の繋がりはあったのでしょう。それにも関わらず、ミナス・ティリスの伝承に裂け谷の場所が残されなかったのは、裂け谷を隠れ家として記すことを許されなかったのか、もしくはサルマンとガンダルフしか読んだことのない書物の中に埋もれていたのかのどちらかではないかと思います。

ミナス・ティリスから見て裂け谷は確かに「遠い北方」ではありますが、ミナス・ティリスから北へ向かう場合、まずは霧ふり山脈の西に出るのか東に出るのかを決める必要があるでしょう。ボロミアは何度もローハンを訪ねたことがあると語っています。そして裂け谷への旅では、白の山脈の裾野をまわってローハン谷を抜けたと語っています。

このことから、ミナス・ティリスを出る時点で少なからず裂け谷の場所の見当をつけられていたか、もしくはローハンへ至るという慣れた道を進むことで旅をはじめたか…、ボロミアがとった道を考えるとこのどちらかではないかと思います。ゴンドールの存亡に関わる危機感を持ってはじめた旅で、3018年6月20日にオスギリアスが襲撃されて14日後にボロミアは出発が出発しているように、悠長なことはしている時間がありません。

エルロンドの会議でボロミアは「エルロンド殿の館のことを聞き及んでいる者は大勢いましたが、それがどこにあるかを知る者はほとんどおりませんでした」と語りました。これがミナス・ティリスの人間を指すのか、道中行き会った人や人里離れた場所に人(ごくわずかなのではないか)に頼ったのかはさだかではありませんが、アイゼンガルドとホビット庄をサルンの浅瀬経由で往来するサルマンの間者や緑道を北上する南からの避難民がいたでしょう。

ボロミアの裂け谷へ至る経緯

トールキン教授がボロミアの旅の日程を明記しているのはごくわずかです。

この道程を経るために、110日かけて400リーグ(約1930km)以上の距離を移動しました。ガンダルフがアイゼンガルドからミナス・ティリスを150リーグと語っていますが、ボロミアも同じく旧南街道を通ったことでしょう。旧南街道はさらにサルバドまで延びています。

ナズグルがどうやってサルバドを渡河したのかをトールキン教授も課題としていたようですが、この街道はサルマンの間者も使用していましたから、橋が壊れてしまっている以上、ボートか何かを用意していたのではないかと思います(パイプ草を運搬できるような道具を何かしら使っているだろう)。アングマールの魔王のような人物であれば渡河に協力させるのは易いことでしょう。私の勝手な想像ですが。ボロミアはどうしたのでしょうか。サルバドで馬をなくしたことは明言していますが、灰色川を渡ったのか渡らなかったのかはわかりません。バーバラ・ストレイチー氏はこういった推測をしています。

彼はサルバドで馬を失ったのだから、そこを通ったに違いない。そこから同じ道を旅した可能性もある。馬なしでは十分な糧食を持ち歩くのは困難だったろうが、果野橋までにびしろ川を遡ったのかもしれない。一方、もし彼が鳴神川まで遡ったのであれば、白鳥川をグランドゥインに沿った沼沢地を越えなければならなかっただろう。[8]

距離に関して、トールキン教授はオスギリアスからブリー村まで392リーグ、ブリー村から裂け谷まで116リーグと書き残しています[9]。ストレイチー氏によれば前者は他の資料との矛盾があるらしく、ボロミアがブリー村を経由したという可能性は低いと考えられるかもしれません。

ボロミアが何を頼りに裂け谷の場所を突き止めたのかはわかりませんが、荒涼とした土地で道行く人があれば、裂け谷の所在を聞いていたかもしれません。10月9日以降、裂け谷からフロドの捜索隊が出動しているので彼らに出会った可能性も考えられます。幸運にも自分の力だけを頼りにたどり着いたということも無きにせもあらず。

このボロミアの裂け谷への旅を調べると明らかなのは、ボロミアが裂け谷にたどり着き得たのは、幸運に恵まれただけでなく、彼の勇気や忍耐強さ、自国を思う気持ちが旅を支えていたのだろうということでした。