「ホビット:竜に奪われた王国」をウェリントンのエンバシーシアターで観賞

ニュージーランドのウェリントン、エンバシーシアターで世界最速上映を深夜に観賞しました。

これは私の知っているホビットの冒険というより、大筋とキャラクターを用いて作った別の物語である、という印象が強い。アクションシーンが華々しく続く。ほとんど最初から最後までそうである。英語の聞き取りがあまりできないということもあるがストーリーの深みを感じることができなかった。アクションではなく物語としてのホビットの冒険を楽しみにしていたので物足りなさを感じる。

一部と三部を繋げる難しいパートなのだろうが、ビヨルン、闇の森、蜘蛛、樽、湖の町、はなれ山、ルダウアのハイフェールズ、ドル=グルドゥアと要素が多くめまぐるしい展開。シーンの切り替わりが多いにも関わらずひとつの作品にまとめあげているのは、王の帰還でその編集力の高さを感じたのと同じだ。たとえば、トールキンの作品で起こる出来事というのは由来がきちんと設定ことが多い。それゆえ説得力の高い物語となっている。キーリの病がなぜあんなに酷いのか(英語で…説明あった?)やエルフに恋をするバッググラウンドが描かれていないゆえにそこに厚みが感じられない。もともと映画独自の設定である。そこにレゴラスとの三角関係を持ち込むのもレゴラスらしくない。彼はもっと風のように爽やかなキャラクターだと思っているが、嫉妬心に駆られシリアスな表情の多いレゴラスには違和感を感じた。また、スランドゥイルがトーリンを人質に捕らえて尋問している時の変化は何を意味するのだろうか?

原作でのはなれ山でのスマウグとの対峙は確かにあっけないものである。映画では肉厚にするためにエレボール内を隅々まで駆け回る。その様子は初読時とまったくちがう印象だが、ロード・オブ・ザ・リングのドワーフの設定から引き継ぐ建築様式は見ものである。

ブリー村からはじめるシークエンスは指輪物語の追補編で語られている。そこへ独自の設定が加えられているが、ビルボの冒険の時代から怪しい人物が徘徊しているのは早すぎるのではないか。ファンとしてこのシーンを見られたことはうれしいが、ロード・オブ・ザ・リングの時のガンダルフとバルログの対峙、もしくはスメアゴルによるデアゴル殺害の幕開けのように必要性を感じない。上映時間に対してストーリーの不足を感じざるを得ない。三部作にする必要はあったのだろうか、と今更問うてみる。

雑感だけどこんな感じ。